2019.05.12

特になし。しかし日記を一週間まとめて書くとそれだけで馬鹿にならない時間が過ぎ去るのは驚きである。

ノートを書き直すなど。後は手遊びにVariational Bayesのコードを書いた。

コードを書くという行為が、ぼんやり考え事をするであるとか数式を追うとかに比べて好きではないので、どうしても初動に躊躇いが発生してしまう。

しかも理論の検証なので(予想し得ない面白い現象を求める実験ではないので)、その割にできても、maxでまあ予想通りですね、よかったよかったという感じの結果しか得られない(要は検算であり、根本的に予想し得ない深い驚きとかがない)。妥当そうな結果になっても喜びとかはなく、見た目バグがないことへの安心感のほうが強い。

要は(算数を通じて結果が得られており、本来数式の流れをフォローすれば正しいか否かがわかるものであるという意味で既知であると言える結果をあえて)電卓で検算するために、コーディングという行為を通じてバグが生じる可能性を発生させて、予想した答えが出てきたら、「バグがない」と安堵している訳である。この、「安心感のマッチポンプ」をどう見るべきか。(こういうと悪意がある表現だが、検算できてよかったよかった、という考え方も当然あるとは思われる)

類似した問題でいえば、一般的な工学シミュレーションも好きではない。未知の驚きがないので。(流石にこれだと表現が乱暴すぎるのでもう少し補足すると、結局シミュレーションのモチベーションとして、挙動がぱっと予想できないものとか、実測で観測できない内部現象などの把握を求めてやるわけだが、工学の局面では、得られた結果について定性的に違和感がないか、「解釈」がつけられるか(つまり既知の概念に照らして即腹落ちできるレベルの結果かどうか)という観点で結果を「眺めて」いるように見え、新しい現象やその原因を追求して理解する、という問題意識が相対的に希薄に見える。結果として、一連行為を通じて人類が「賢く」ならないので楽しくないし、成長をしないことに伴う無駄も多い)

頭が固すぎる、と言われればそれまでだが学部の頃の「刷り込み」の効果は思いの外大きかったようで、異分野のドグマ(これ自体悪意のある表現かもだが)に対して、スムーズに受容できることが思いの外多くない。情報科学は言わずもがなだし、統計学も結局最後アプリケーションに落とす、という部分に重きがあるように見えるところに漠然とした違和感がある。そんなに「手法」や実データ適用の「実績」が大事なのだろうか?

しかし最近の流行りのおかげで、本質的に確率的だったり挙動が複雑すぎるためにブラックボックスにさえ見える系が増えれば、分からない系の挙動を外から観測できるものを使って理論的に探る、という「物理」的行動原理ももっと自然なものとなってくるのでないか、という淡い期待(大変傲慢かつ野蛮な思想で申し訳ないが)。まあ御大層な事ばかりいっても、自分がやっているのはその更に手前で見た目シンプルな問題なのだが。

全然上とは関係ないが、PythonのDynamic mode decompositionのライブラリを発見するなど。この現代社会においては、本当に何でもあるのだな、とつくづく。

2019.05.11

起きるのが遅い。

日中に下の本をざっと読む。

 もっと早くに読んでおけ、という話もあるのだが。本筋の研究の話も刺激的で面白くはあるのだが、横道のトリビア的な部分にも、どうしても目が行く。初めて知ったこととしては植村先生が企業の研究所にいたことがあったとか、(以前読んだ本の著者の)山口先生が上村研出身であったこととか。

全体としては古き良き時代、という感じ。基本的に出てくる研究者が現代よりもさらにハイソな感じだし、何かと人間の営みの香りがする。後は弟子の先生(固有名詞)に文章の雰囲気が受け継がれていると感じた。

出かけて外で古典推定の勉強をする。不偏推定量とかバイアス・バリアンス分解とか、この辺の根本的に重要に見える部分は勉強の甲斐があるのだが。しかし、読んでいる本のノーテーションがストレスフル。

帰宅後ずっとニコ生を見ていたが、最後は鉄板の勝ち方で永瀬叡王誕生。めでたい。

夜は下記の集計結果を眺める。「夢の丘」とか「ダージ」とか平成か!といわれてみて気づく感じ。上位なめのDTは、自分は2ndと5thよりも3rdと4thが好みなので、やはり嗜好の乖離を感じる。

togetter.com

暑さに耐えかねて、扇風機を出す。眠れずに目がさめるので、夜中に「足摺り水族館」を途中まで読んだ。これまでのものよりもさらに独特の雰囲気の強い、原液感。

2019.05.10

昨日買えなかった、「普通の人びと」、「科学立国の危機」などを買う。

夕方はセミナー。(書けることは)特になし。

夜、「火の鳥」復活編途中まで読む。小さい頃にはなぜか復活編から読み始めて、内容がよく分からないのにすごく恐ろしかったことをよく覚えている。

2019.05.09

楽しみにしていた「不道徳的倫理学講義」を買う。すぐは読めないのだが。

新人の発表会。質問したら後で手厳しいとか言われたので今後は質問を控えようと思った。

最近飲酒すると後の精神的な揺り戻しが以前よりも激しい。瞬間的に5上がって50下がるみたいな感じ。まじめに摂取について考えたほうが良い気がしているのだが。

2019.05.07

朝は社会復帰への負の意欲を梃子にノートを多少書く。

人のお土産でDopplerオーストリア出身であることを認識する。

午後は大学に行って散乱理論と量子干渉の話を聞く。前半は頭が冴えていて、S行列の話を見た瞬間にユニタリ性の話が頭に浮かぶなど先生の話の拵えについてっていたかと思うが、後半は量子干渉の実験やABリングを見て喜んでいたら(外村先生の件の実験がこれまでの人生で唯一、目にして涙が流れるほど感動した実験なので)多重干渉効果をちゃんと考えると磁場での位相制御は難しいとか言われて、自分がちゃんと考えていないことが分かりがっかり。しかしなぜ、今更単位の取得に血道を上げることになっているのか。(それも物理で)

LINEの調子がおかしいケースがあることに気がつく。メッセージが適切に送られて来ずにラグが発生する場合があるが理由は不明。

夜は薬の調達に医者に行く。休み明けなので混雑がひどく1.5h程度待ち。写真を撮られて、GWに実家で読んでいた「残酷な神が支配する」が頭をよぎるなど。

図書館で借りた「異常検知と変化検知」をパラ見している間に寝落ち。

2019.04.26-05.06

10連休。連休らしいことは特にせず(後に先生の所に行って雑談した時に「正しい姿だと思います」とかフォローされた)。所要で実家に帰ったのと合わせて即位の儀式をテレビで眺めていたぐらい。実家では漁夫の利で藤田展のグッズであるトートバッグを手に入れた。

基本的にはノートを書くかだらだらするか、だったのだが、前半では「ジョーズ」を見に行くなど。初めて通しで見た気がするが、予想よりも遥かに出来栄えが良かった。前半は普通に怖い。

ユニクロで売っていた任天堂とのコラボTシャツが気に入ったので購入する。本当はヨッシーの柄が好みだったのだがサイズが合うものがなかったので、マリオとキノピオの柄のものにする。同時にPEANUTSのも。しかし毎回思うのだが、女性向けのほうが明らかにデザインが可愛くて、好みである。男性向けのものは大体気に入らない。

後はNetflixに再加入して、「ストリートフードを求めて」を見ていた。悉く出てくる屋台の名物が美味そうで、この手の番組を楽しく見れることに驚いた。

休みの終盤に九段下に出向いた際に千代田区の図書館に初めて入るが、環境が良かった。こういうところで日々作業したいものだが。

休みの最中に統計検定の問題集を眺めていたが、1級と準1級で方向性が割と違うことを認識した。準1級のほうが実践的。実務の経験が乏しい身としては、算数を頑張ればフォローできそうな1級のほうが望みがありそうな気がする。とはいえ、計算のスピード・精度のおぞましいほどの衰えを再認識せざるを得なかった。

後は(1X年ぶりぐらいに)「火の鳥」を読んでひたすら圧倒されていた。黎明編から始めて鳳凰編まで。空前絶後

その他、「医師の不足と過剰」を読む。結論は、空間ゆらぎを考えなさい、というごくごく自然に思い当たるものではあると思うが、いろいろデータの説明もあって、厚くはなく内容も深いものではないが、ためになる本であるという印象。ただ、医者の人口学というのはもっと連綿と既往研究があるのではないかと想像していたが、引用される文献が専門書や論文ではなく、一般向けのもの、かつ最近の文献ばかりなのが若干気にかかるところではあった。

 

医師の不足と過剰: 医療格差を医師の数から考える

医師の不足と過剰: 医療格差を医師の数から考える

 

 

連休中に目にして、刺激的だった記事。 

japan.cnet.com

 

 この著者、情報科学の界隈での有名人であることは間違いない(というか自分もその文脈で本を読んだりして知っている)が、どこまで物理のことを深く理解・認識して記事を書いているのか謎なところが悩ましい(というか巧みというか嫌らしいというべきか)。

まあこれを読むと、言明としては確かに非線形非平衡とかでアクセスできていない広大な領域がある(それはこれまで主にやられてきた領域よりは遥かに広い)、とかはステートメントとしては正しいのだろうが、解ける問題しか解いてこなかった、とかカジュアルにおっしゃられると、平衡統計とか熱力学とか量子力学とか、その他のここで旧来のものみたいな扱いになっている諸々の物理の圧倒的な(不愉快でさえある)強力さ、普遍性を理解された上で、これまでは解ける問題しか解いてこなかった、とか深層学習が拓く、人間の貧弱な認知限界の枠内にとどまらない、新たな科学の姿としての「高次元科学」とかおっしゃっているのですよね、という気持ちにはなる。

この手の(クラークとかレムとかの有名な作品が想起されるような)SF的問題意識はお話レベルとしては嫌いではないのだが、何だか情報だの脳だのの皆さん、やたら物理に言及したり、新しいパラダイムが大好きというか、そんなに「超物理」みたいなことが言いたければ、学部・修士ぐらいのことはもちろん勉強された上でバウンダリを認識して言っているのですよね(この著者の学問的背景を知らないので、勿論超気合を入れて学んだ上で言及している可能性も大いにあるのだが)、という気分。(某○○幾何の始祖も微妙なことを言っていたりしたので、個人的にはやや不信感を持っている)

しかし、(自分のような非専門家ではなく)真の識者はこういった内容についてどのような感想を持つのか、というのは興味はあるところではある。