服従

シャルリ−・エブド事件当日に発売された本書、そのあらすじが2022年にフランスにイスラム政権が樹立するという著しくセンセーショナルなものだったため大きな話題を呼んだが、内容としてはこれまでのウエルベック著作と同様のテーマ上にあるものといえる。
すなわち、近現代の大きなテーマであった個人の自由の追求と、資本主義社会での徹底的な消費主義・競争主義(ウエルベックにおいては特に性に関してフォーカスされる)の一つの極致として、消費社会で価値あるものであった若さや精力を失った「持たざる者」達が直面する、人生のどうしようもなさや絞り尽くした末に残った孤独感があけすけに描かれるというもの。
こうした個人主義の推進の結果として生じる家族制度の弱まりや子供を設けない/設けられないという(現実にも通じるであろう)問題は、そのまま文化の再生産力の減退に直結しているのだから、生存の原則的には(家族制度など)より強い「再生産力」を持った文化(本書でのイスラーム)に駆逐される他ないよね、という話が本書。
「持たざる者」となった主人公の遍歴が示すように、物的な飽食と自由主義への消耗が進んだ現代においては「神」への信仰はそこまで魅力的ではないが金銭的・性的な充足や家族の方が「転ぶ」には大きい、という指摘はいつもの通りきわめて身も蓋もないもの。
しかし、これまでの著作では基本的に社会の中での個人といった話に終止するところ(最後に力技があって世界自体が大変化したりもするが、それも一種のフィクション的)から、個人の淘汰と文化の淘汰との相似関係が露わにされ、(突飛に見える一方で)現在と地続きなかたちで社会自体が変容していく点が描かれたのが新しい点といえるだろうか。

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