まっぷたつの子爵

「われわれの祖先」シリーズの1作目。筋自体はまあどうということもない(まっぷたつに切断されるメダルド子爵、というのは寓話的なものと捉えるのみでなく、むしろ戦争からの帰還者として直接的に見るというのもありうるのかもしれないが)が、さらりと描いてみせる洗練された文章(子爵により二つに切り離されたきのこが水に浮かぶ件や、放火を思いつく件とか。後、「木のぼり男爵」でも思ったが、年老いて世のことに嫌気が差した人を描くのが上手い)、そしてラストと、単純な説話的な物語としてしまうにはあまりにも優れている印象。

 

まっぷたつの子爵 (岩波文庫)

まっぷたつの子爵 (岩波文庫)

 

 

AIの遺電子

1巻だけ読んだ。

トピック的には時宜にかなったという感じで確かに興味を惹かれるところはあるのだが、如何せんテーマに比して与えられている紙幅が乏しすぎるというか、問いと答えを非常に分かりやすい格好でセットにして提示されている感じ。

 

AIの遺電子 1 (少年チャンピオン・コミックス)

AIの遺電子 1 (少年チャンピオン・コミックス)

 

 

読書で離婚を考えた。

互いに本を薦め合い、薦められた本を読んでそのレビューを交互に書く、という連載の書籍化。ねらいは「相互理解」らしいが、円城塔から薦めた最後の本が「ソラリス」だったりするが、まあそういう感じの本。

何か世の人は、やりとり読んでいてハラハラするとか(離婚の)危険を感じるらしいが、個人的にはこんなものか、と思ってびっくりするほどすんなり読んでしまった(芸だろう、と高をくくっていたから、とかそういう話ではなく)。

やはり本を薦めることに対する理解の形成とか、相互理解というものに期待する所小だからか(本も薦められるのはまあ嫌いではないのが、薦めるのは好きではない。しかし世の人の声から推測するに、一般的な夫婦では、たとえばここに記されているよりも遥かに高レベルな相互作用の形態とかそれに伴う理解が求められる、というか前提となっているということだろうか)。

 

読書で離婚を考えた。

読書で離婚を考えた。

 

 

魔犬

建造物の書き込みようは素晴らしいのだが、「魔犬」とか「名もなき都」とかで異形の者が可視化されると、何だか説得力が損なわれる気がするのは気のせいか。という訳で「神殿」が良かった気がする。

 

魔犬 ラヴクラフト傑作集 (ビームコミックス)

魔犬 ラヴクラフト傑作集 (ビームコミックス)

 

 

きみは赤ちゃん

文章自体は気に入らないというか割と苛立ちを誘うものなのだが、自分が常識が無さすぎるので書いてあることは勉強になる、というかいちいち驚きを覚えている(特に産後。授乳が激痛を伴いうるものであるとか、母体の歯がすごく弱くなって抜けるとか。お産前の食欲の激増ぶりにも衝撃を受けたが。ここまでドラスティックに身体が変わるというのは改めてすごいものである)。

 

きみは赤ちゃん

きみは赤ちゃん

 

 

 

 

2017.09.16

これまでこのブログには明示的には情報を記載していなかったのだが、つい先日諸手続きを終えて、大学院に入学することとなった。もう少し早く書いても良かったのだが、「だって僕は『自分を信じていない』もん」という所で、まあ。後はいかにここがウルトラ廃墟の様相を呈しているとはいえ、実際に本決まりになるまではやや書きづらくも有り。

といっても一念発起して勤めをやめて、的なものではなくいわゆる二足の草鞋的な格好で、部分的な空き時間をやりくりしながら通って、になる予定。

分野としては過去学生の時分にやっていた物理でも、会社でどーこーやっている雑多なものとも必ずしも近くなく、といった所で、(瞬時に一意に定まりそうなので)詳細は記載せずにおくと、いわゆる何とか統計、機械学習の理論を扱う所。対象が対象だけに物理とも近からずも遠からず、と言う所はありつつも(実際フォーマリズムとしてはランダム系のハミルトニアンで記述されるような系の分配関数を調べる、というものになるのだから)、冷静に見ればまあ異分野。また、理論なので直近で役に立つとか恐るべき大金が生み出されるとか、では(無論)ない。

ただ、つまらない話になるが入学に関しては自費で行くのだが、実際にやる事(「役に立つ」かどうか、という点に囚われるのでなく重要(というと大げさだが、興味を持てると)と思えること)を積極的に選ぶためにそのような形にしている、というのは非常に正直に言えばある(とはいえこれを許す合理的な理由が何一つないにも関わらず、受諾した職場には非常に感謝しているが)。

非常に傲慢かつ非現実的な物言いだが、重要如何でなく「役に立つ」(本当に役に立つのか、多くの人にとって喜ばしい結果につながるものなのかどうかはさておき)ものをやる必要が発生するところの娑婆に出た身分でありながら、学位を取るであるとかそういった「研究」側のことを何かするのなら、今の業務(「今」、瞬間的に「役に立つ」もの)の延長線上に即位置づけられるものでなく、かつ面白いと思えることをする(業務の副次効果の蓄積などでなく)、というのが、自分が取り組む場合の一つの条件と思っていた(逆に、そういった、面白いことと必要に駆られてやることの境界を曖昧にすることには非常に抵抗があった。形式的なものを追うので良ければ、5年前にD進している)。なので、ごく最近までそうした機会はまずありえないと確信していた。

そういうこともあって、このような(信じ難い)選択肢が見えた(そもそもあるのかどうかも疑わしい線を、気が触れて「見出してしまった」という方が適切だと思う)段で、愚かにもそれに拙速に飛びついた、という側面は否めない。

試験の時の面接でも(学生の時の修論について喋る必要があったので喋った所、見た目の分野や使っている言語が通常の志望者のものと明らかに乖離のある見慣れないものだったこともあり、大勢いる中で志望教官ともう一名の先生だけがこちらの話を概ね把握しているような状況)多くの先生に頗る受けが悪くて大分心配されるような空気であった。誰だってそーする、と言う感じではある。

志望自体も(分野自体への興味で自習するであるとか、過去の最近接の論文をさらっと見てみるだとかはありつつも、土台として正当な教育過程を経ているわけでなく)こういった形で、というのを思い立ったのは、積年の計画の帰結とかではなく、どちらかといえば青天の霹靂的な所が強く、冷静に第三者的に見て、文字通りの狂気の沙汰としか思えない。

なぜこのようなジャンプに踏み切ってしまったか、というのは、最大の所は上述の通りで、ありもしない物を見てしまったから、と言う所だが、ではなぜそういったものがちらついたのか、という点に関しては、原因として誠に有りがちだが老化の影響があると思われる。

最近記憶力はじめ脳も明らかに輪をかけて駄目になりつつあるとか、肉体的にも抵抗力が弱まりつつあるのをひしひしと感じるので、やはり集中的に何かやるのならばあまり時間的猶予がない(通常の道を歩む人から見れば、持ち前の能力と合わせて明らかに賞味期限切れ、というのはあるが)、ということは感じてはいた。

という訳で、将棋で言えばド作戦負けの結果、このままだとジリ貧、座して死を待つばかり、という所で暴れに出たわけだが、暴挙という気はしないでもなし(何だかネガティブなことばかり書いて先生には大変申し訳無いが)、というのがここ最近。ただ、さすがに同じことばかり考えて神経が麻痺してきたので、もうやってしまったものは仕方ないというか、ここで3年ジタバタして駄目だったらそれはそれで諦めも付くだろう、その後はスーパーファミコンミニ(時事ネタ)でもやりつつ、ゆるゆると余生を過ごす、というのでどうか、という気もしてきており。

そんなわけで、最近はやる気が出るフェーズとヘタれるフェーズの揺動が激しく、何とも言い難い状況が続いている。

アレフ

先日岩波から新たに出たものをちまちま読んでおったが、8月中に何とか読み終える。

たまたま並列で読んでいた「からくりサーカス」の参考文献にも上がっており(正確には同書で挙げられていたのは白水から出ている「不死の人」だが。)、偶然に驚かされたり(一方で、そちらを先に読んでいたせいもあって、「不死の人」との類似性とか、「アベンハカン・エル・ボハリー、おのが迷宮に死す」の詩のフレーズとかには驚かされた)。

きわめて多様な筋の話を含む本書だが、繰り返し現れるモチーフである円環や鏡、迷宮、また何度も描かれる、際限なく続く時間やしばしば出会う(死をもたらす)「もう一人の自分」といったものが、自己の存在とか固有性というものへの疑い(というかもっと言えば不快感)を示唆するように見える一方で、「不死の人」のように、「言葉」の力(不滅性)は非常に強く信じているように見えて、非常に現代的(正確には二十世紀的?)というかリリカルと言うか何というか(悪い意味ではないが)。

印象深いのはやはり「不死の人」か。本書の中ではこれが出色に見える。

 

アレフ (岩波文庫)

アレフ (岩波文庫)