旅先で読むその2。「過去は…バラバラにしてやっても石の下から…」的な話(を牙を抜かれたような格好になっている主人公と、罪悪感に苛まれ続ける妻とを中心に描く)で、3部作の中で一番好きかもしれぬ。

最後の禅寺に行く件が取ってつけたよう(でよろしくない)、という意見が多数みたいだが、むしろ(突拍子もなく、自己完結的な)逃避ってこのような形で出るものだと思うのだが。終わりも現代的。

あと、(これは他の作品とかを見てないので的外れの可能性も高いが)この禅寺の話は、公案とかの件を見るに「宗教」というよりは「象牙の塔」に近いという認識をした(なので、割りと冷ややかなのかな、という印象)。

何というか、ここに出てくる(過去の宗助の持っているところの)「合理性」にせよ、禅寺の「真理の探求」にせよ、「生」の側の(そちらの世界での)論理であって、そこの外に出た(「死んだ」)人間に対して意味を持たない、というのが(潜在的に)明らかなので、ああいったむにゃむにゃした否定になるのは、大変分かる気がする(その意味で「死んだ」人に対して可能性として残されているのが、「無償の愛」というか、非合理的な面を残した「宗教」だろうという考えが潜在的に宗助にあって、救いを求めて門を叩きに行った(が、行き先が適切ではなかった)のでは、という推測。あるいは、そうした非合理性を含んだ「宗教」が既に死に絶えた(あるいは、元「合理的」な人間にとっては訪問するなど思いもよらず、実質的に存在しないも同然な)末法の世の中である、ということが前提なのかもしれない)。

門 (新潮文庫)

門 (新潮文庫)

 

 

2017.01.31

詰まらぬことは色々あったが、John Wettonの訃報で全て消し飛ぶ、というかあまりにショックが大きすぎる。Progressive Rockに惹かれるきっかけとなったのが、Bruford、Cross、Fripp、Wettonの時代のKing Crimsonでした。("The Great Deciever"を偶々何も知らずに予備校時代に図書館で借りて、雷に打たれるが如くの衝撃を受けたのであった。「宮殿」とかでなく、こんな入り方の人はまずそうそういないだろうと予想するが、何も知らず最高の部分から入る、というある意味幸福なのか不幸なのかよく分からない状況。)冥福を祈ります。

Flowers 3月号

ポーの一族の続きを読む。予想だにせぬ新展開(と奇妙さ。アランはどことなく、やや軟着陸の方向を見せつつの気がするが、やはりエドガーの魔法が解けた感は如何とも)に、年表的に本当に1940年代なのか?とか訝しむが、本編後に年表が出てきて、スタートから40年後、今、さらに新しいことをしようとしているのだ、ということを確信して改めて恐れ入るなど。月刊連載ということで、続きが猛烈に気になる。

 

 

 

2017.01.30

寝坊。「機動刑事ジバン」のOPを見て懐かしさに打ち震えるなど。超合金のジバンも車も小さい頃持っていてお気に入りだったのであった。

昼はエチオピアで。カレーを食すと戻ってきた感がある。

午後は田崎統計力学を読む。低温展開の復習。空でやろうとして詰まったが、積分範囲を拡張すると解析的に積分出来るようになる(ので、それを見越してあまり変形の早いうちから化学ポテンシャルとフェルミエネルギーの差分で展開したりしないようにする)、というのは(忘れていた身には)ややテクニカルな気もするが、こんなものだろうか。

体調がいまいちだったので結局「揺れる大地」を見に行けず。去年後半辺りから、(今迄満足に見てこなかったにも関わらず)憑かれたように映画を見る羽目になっているが、年明けてから阿呆みたいにせわしなく、既に「阿古屋」も「揺れる大地」も見逃し、ということで何かとフラストレーションが溜まる。2月も状況は悪くなる一方なのに、既に相当、「見るべきリスト」からの公開が確定しており、どうしたものか…

回避性愛着障害

少し前にふと思う所あって読んだが、占い師か、と言う程ずばりずばりと言い当てられるようで(巻末のテストも合わせて)、大変いたたまれない気持ちになった。

本としては、事例で出て来る人がやたら芸術や哲学・文学系なこと(個人的にはホッファーの例が印象深い。後の著作しか知らなかったので)とか、どの程度科学・医学的には結論が出ている中身なのか、など多少気にかかる所はあったが。

 

回避性愛着障害 絆が稀薄な人たち (光文社新書)

回避性愛着障害 絆が稀薄な人たち (光文社新書)

 

 

 

狂気の山脈にて 2

旅先で読む。静的な性質の画が、物語の粘度の高い恐ろしさに実に合って、良い。

 

 

-2017.01.28

先程帰国しました。大寒波吹き荒れ−15℃とか言ってる中向かうことになりえらい目にあったが、天気自体には何とか恵まれたのと、その他も幸運に依る所大きく、大過なく帰還できて良かった(個人レベルでは色々出血多量でもあったが)。ただ詳細は略。

写真を一つだけ。これを見た瞬間「フリー目医者ん」という駄洒落が頭を過ぎったものの、流石に実際に口に出すのは憚られたので、ここに書いておく。

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この他にも、「達磨なのに耳とはこれいかに」、とか今回はやたら駄洒落に縁のある訪問であった(こんなことばかり考えていた訳ではないが)。

 

流石にこれだけではあんまりなので、もう少しまともなことも書いておくと、文法的には完全に破綻した英語でも、兎に角必死に伝達しようとしていると向こうが(外国人補正で)一生懸命聞いて意図を汲み取ってくれる期待値が意外と高いことを今回認識した。正直国内でいい加減なことを喋って(ぼろを出して)いるときより遥かに真剣に話を聞いてもらっているのではないか。