2013.06.21-27

ある文面を見て(おそらくは勘違いというか早合点だったのだが)、悲しかったりどうしようもなく腹が立ったり、というのを経て認識したこと。

自分はおそらくこれまでで下してきた「決定」について、その内容が間違いだ、と言われるとか愚かだ、と罵られたり笑われたり、というのは全く構わない(自分の間の抜けようを鑑みればおそらく大多数の決定は適切なものでなかったのだろうし)のだが、ある時点において、「自分」がその決定を行ったというただ一点は譲り得ないものだと思うし、それが損なわれることは耐え難い。
例えばあなたは私の手のひらの上で踊ってたんですよ、と釈迦的なことを言うような人や、その決断の結果に対して妙なしょい込み方をして、こちらの意志の存在をなかったことにしている人とか。

決定内容の善悪は別にして、その「決定」する、という所にだけは自由があると思うし、それが、(歪でおぼろげではあるようなものかもしれないが)自分の輪郭をあらしめると信じたい。