ハーバード白熱教室講義録+東大特別授業
ハーバード大学で行われている授業の講義録を書籍化したもの。
授業の方は今となってはすっかり有名になった、「5人の命を助けるために1人の命を奪うのは妥当か」などの問いに始まって、生徒に議論させながら話を進める、という産婆法的スタイルだが、これが成功しているかどうかはかなり微妙。
まず基本的に投げかけられる問いの意味する所とかを明らかにしないまま議論を適当なところで打ち切って、抽象論みたいのに行くんだが、その問いの使われ方は基本的に「この考え方に従うとこういう帰結になるんだけどなんか違和感がある」みたいのを浮き彫りにするために使われているというだけであり、そもそもその「違和感」みたいのを裏付けする我々の「常識」とか「道徳」には無批判なせいで議論の説得力が貧弱になっている(これは佐伯啓思の「自由とは何か」を読んだ時も思った)。何か「生きづらさ」とか「違和感」があった時にそういう「前提」を疑うのが哲学ではないのか。
あと基本的に生徒が文字通りの玉石混淆といった感じで、目標と議論の現状を把握して適切に進めていこう、みたいな意思の感じられる人自体が非常に少なく、ただ自分の気分を言いたいだけの人とかが大量にいるせいで、文字に起こしてしまうと粗が目立つ。いっそ生徒の発言をカットして1冊の薄い本にまとめたほうがましだったのではと思ってしまうほど。毎回の授業分の合間にある日本の教授の解説も2頁程度なので仕方がない事とはいえ、中身がきわめて薄く、あまり意味が無い。
授業のスタイルは悲惨と思ったが、肝心の中身は(教授の発言自体が圧縮されており中身は薄いとはいえ)かなり面白いところもあった。取り上げられている思想は主に
・功利主義(ベンサム、ミルを例に)
・リバタリアニズム(ノージックなど)
・ロック
・カント
・ロールズ
・コミュニタリアニズム
で、特に著者自身が論争の中心にいたこともあってか、後半のリベラリズムとコミュニタリアニズムの部分、特にリベラリズムの大きな要素である「正義(公正さ)」と「善(道徳)」の分離と、それに対するコミュニタリアニズムからの批判に「大きなウェイトが置かれていた印象。
適当に思ったことを書いておくと、
・功利主義は個人の差異を塗りつぶすところが大変気に入らない。
・リバタリアニズムでは市場原理を適切に支える国家というものはどう形成されるのかさっぱりだった(ここがはっきりすれば比較的共感できるのだが)。
・ロックの契約論的な国家もかなりグロテスクな気がするのでなかなか受け入れ難い。「同意」しないという選択肢はあり得るのか?
・カントの考え方は「普遍的法則」があまりにナイーブに見える上に、そこが揺らぐとたちまち怪しくなる気がするのでちょっと採用しがたい。
・ロールズの正義論はぱっと見強力に見える。ただともすると「無知のベール」にはじまり悪しき平等主義に陥りそうなので鵜呑みには出来ないが。
・(従来の)コミュニタリアニズムの考えは大変ナイーブに見える。個人が帰属するバックグラウンドから逃れられないのは事実だが、それがアイデンティティと義務を同時に生む、というのは安直にすぎるのでは。もっと言えば、それは単純で分かりやすい「アイデンティティ」が欲しい人に都合のよいシナリオでしかないのでは。
・サンデル本人は少しここからは離れているようで、中立的な考え方であるリベラリズムが社会制度などの決定に際して弱い力しか持ち得ないことなどを理由に、目的論的考え方の復活をとなえている。この際にロールズの隠れた前提である、「善は多元的だが普遍的な正義は存在する」という考えに言及し、多元的な善を扱う方法は普遍的正義には限らないのでないか、という観点からアリストテレス的な目的論(と共同体的な考え方)の復権を唱える。これは確かになかなか説得力があると感じるが、たとえば本文にも出てきた「善と善の衝突」などの問題に対する答えが与えられない限り、コミュニタリアニズムに乗る気が起きないのも事実。
読み終わってから、もっと勉強する必要があると思わせる本だったので、そういう意味で非常に教育的な本なのかもしれない。
- 作者: マイケルサンデル,Michael J. Sandel,NHK「ハーバード白熱教室」制作チーム,小林正弥,杉田晶子
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2010/10/22
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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