リブロ池袋

明日20日で閉店ということで、今日最後に行ってきた。柱の豪華な署名とかのことは、今更どうこう言うまでもないことかと思うので、以下では個人的なことを書く。
小さい頃は、夏休みに泊まりに行った祖母の家から、たまに家族で(池袋の)百貨店に出かける、ということが、ちょっとしたイベントめいたことだった。今思えば、百貨店にそういった雰囲気があったことにはおそらく90年代前半という時代的な背景も影響していた面があったと思う。
少し大きくなると、親たちが買い物している最中には別れて本屋で時間を潰させてもらえるようになった。来るたび別の本に会える空間は、同じ本に囲まれた場でありながら地元の図書館ともまた違って何やら華やかな印象があった。特別目当ての商品があるでもなく本屋へ向かい、あてもなくうろうろし、棚を物色して数時間を平気で過ごす。現在まで続くこの習慣は、間違いなくこの頃に確立されたものと思う。
電車での通学が始まってからは、定期圏的な問題から池袋にはご無沙汰な時期が続いた。自分の移動圏や興味も変化したし、理工書の棚にも非常にウェイトを割いていたジュンク堂の登場をはじめ、環境も変わったと思う。
非常に勿体ないことに、1階の人文のフェアの面白さに気づいたのはここ最近、2、3年前ぐらいからのことだった。つぶした時間だけは積分すればある程度の量になるだろうにもかかわらず(加えて田口久美子の「書店風雲録」とかも読んでいたのにもかかわらず)、リブロのリブロたる所以には最終盤までまるで触れてこなかったことになる。惜しいことをした。
西武、そしてリブロが取り上げられるときに言われる、いわゆる「文化の発信地」的な側面にこそ直接接することはなかった(なので、他の多くの人の感じる「リブロ」とはかなり意味が違うのだろうと思うが)が、それでも「西武の本屋」は自分にとって小さからぬ存在であったと思わされる。この一つの節目に、ただ寂しさだけがある。