変身のニュース

独特のセンス溢れる絵と、収録の短編ほぼ全てに共通する、何かしらの形で抑圧・疎外された主人公がその悲惨さのなかで一歩踏み出した時に現れる奇跡によって救われるという話の展開が抜群のマッチを見せ、破壊力は高い。
しかし一方で上述の話の展開はきわめて主人公側に寄ったというか、主人公側の主観から全てが構成された世界のような所があって、これらの話を受け入れることには猛烈な抵抗がある。一言で粗く言えば、ここで描かれている話には絶対的他者がいないと感じる。
疎外された人、弱い立場の人の悲惨さを身も蓋もなく描いて見せて、それが最後に信じ難い偶然としか言い様がない形で救われる、という形が大島弓子に近いという話もあったかと思うが個人的には大きな違いがあると感じる。
本作では出てくる人は報われない時に破壊的な行動へと移ろうとする(それは主観的な世界しかここには存在しないために可能であるとも言える)が、大島側では報われない場合にもそういった行動には及ばない。彼/彼女らは望んだものの到来に対する待ちぼうけを喰らうが、それでもなお異常な長時間ひたすら「待ち」続ける。それは何か自分が一歩踏み出したとてそれに応じて都合のいいことが起こる訳ではないから。彼/彼女らにはそれしか出来ない。しかしその厳然たる前提の中で、何かの気まぐれとでも言う他ない、完全に自己から切り離された現象が起こり、それまでと違う世界(の見え方)が顕現する(しかもそれは必ずしも我々側が考え得る幸せや奇跡の形とは一致しない)、というのが大島側。
という訳で、以降の作品もこの調子だと個人的には少々しんどいかな、というのが感想。

変身のニュース (モーニング KC)

変身のニュース (モーニング KC)