-2014.08.30

ここ暫くなんとかーンシップ対応があったりしたためハードだったが、もう少しで一段落つきそう。こちらはざくっとしたお題を丸投げして、来た人に考えてもらう(小人のごとく見ていない間に作業を進めて翌日までに出来あがっているのを見ると不思議な気分になる)だけで、むしろ申し訳ないのだが。
しかし今回個人的に印象深いのは最終盤にやった、期間の総括的なスライド発表(短時間)の際に、担当した人で非常に散文的というか、断片的な言葉をばらばらと並べるだけのスライドを作った人がいて、(直前にあった課題発表会とその練習の際にはこちらからスライドを作るときの一般的な中身や構成の作り方について大分コメントしたという背景があって)、大丈夫かいな、と頭を抱えたのだが、いざ総括の発表の段になると、それらの断片的な言葉を、落ち着いたある種朴訥な言葉で自然につなぎあわせて、一つのまとまりのある(しかもオリジナリティと説得力のそこそこある)話になっていたこと。
自分がこれまで研究室とか外とかでスライド作って話すために、見聞きして習得した方向性というものもある種の文脈上での「型」でしかないのは頭を冷やしてみれば当然とはいえ、こういうやり方(かつある程度成功していると思しきもの)はあまり見なかったため、衝撃を受けた(蛇足ながら補足しておけば、上述の人のやり方はいわゆるパフォーマンス的なプレゼンテーションとはかなり違うものだった。)。

それはさておき、昨日は例によって高校の友人と(こちらの我儘に応じてもらって)プエルトリコやる。5人ゲームと3人ゲームの性質の違いを強く認識。最後一発入ったのは、砕石場を撮りそこねた、以上に早い順目でコーヒーが売れるようになった、他の人達の生産型の立ち上がりが比較的ゆっくりだったため、10点建物のパワーのみに訴え建物数で蹴りをつけに行く強引な作戦でも功を奏しうる(より正確に言えば、長引けば長引くほど勝ち目はまずなくなるので無理な動きをせざるを得ない)といった状況で偶然うまくいった、運によるものという認識。