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この世界の片隅に

映画

10年前ぐらいに「夕凪の街、桜の国」を読んだときに自分にはヒットせず、その後著者の本を読んでこなかったこともあって、先週それ程期待せずに見てきた(「聖の青春」とどちらにしようか迷って、直前に決めたぐらいの何の気の無さ)が、とんでもない勘違い+予想を覆すド傑作であった。えらいものを見た。
まず冒頭のお使いの話からして素晴らしいわけであるが、序盤で描かれるすずさんの「絵を描く」力とそれによる世界への接続(いわゆる「実生活」的な点でのおぼつかなさとのコントラストが目立ち、なおのこと「手段」としての側面が意識される)の形が何とも美しく描かれるのとの強烈な対比としての後半。剥奪され、自らの意志と関係なく否応なしにそれまでと断層的に切り離された世界へと投げ込まれ、なぜ自分が、という解けようのない(理解がなされていないのに書くのも何だが)現象学的な問いの中で生きることを余儀なくされる中で、「記憶の器」として生きるというあり方(それは突然嫁入りでやってきた「呉」で生きる、という選択とも無論重なるわけだが)ことに是と答える、という所は流石に涙なしには見られず。
しかもそれに留まらず、ラストの子どもの件に至っては、もう言葉もない。美しすぎる。

という訳でこれは原作もぜひ、と思って(再び軽い気持ちで)その日のうちに読み始めた所、映画鑑賞直後の(大体は中身が頭に入っているつもりの)期待を軽々と超越していく恐ろしいほどの出来栄えに、更に頭をぶん殴られるが如き衝撃に襲われることに。映画が10年に一度の傑作(ここで数字はオーダー程度の正しさのイメージ)とすると、原作は30年に一度の傑作、というかおそらく歴史的に残る作品の気がする。
映画を観たときには、何だかやたら、すずさんの家が古めかしい(嫁入り直前の夜に、最初の晩の手続きについて伝える件とか)所とその一方で嫁ぎ先が非常に現代的な感じであるとか、途中のエピソードのオチで子をもうける件がありそうでありながら(つわりに気づく話とかその後に飯を二人分、とか)、出産については何もなし(それでいてラストに戦災孤児の子どもを貰い受け、家族を構成する)、などと何処と無く不思議な感じはあったのだが、それらの疑問が原作を読むと解消されていく、というかもっと正確に言うと映画はこの作品で描かれる暴力性や抑圧の仕組みのうち、片方(要は「戦争」)に軸足を置いたものとして書くことを選択しているが、描かれなかったもう一つが猛烈に重要、とうか、読み進める中で開ける世界がまるで変わってくる印象。
率直に言えば、映画とは別の次元(映画は映画で、枠が決まっている中で何を選択するか、というのが大事なわけで、そういう意味では映画を貶すつもりはない。ただ、「完全版」があまりにも圧倒的だったということ)。
実に恐るべき(そして本当に素晴らしい)ものを見たという気持ち。他のも読まねば。