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「中終盤重視主義」発言について

将棋ペンクラブログの記事を読んで、ちょっと驚いたことがあったのでメモ。
元記事は田中寅彦七段(当時)による、谷川名人(当時)に対する例の「あれぐらいで名人になる男もいる」発言を含んだ自戦記。以下のサイトで見れます(面白いのでおすすめ)。
https://shogipenclublog.com/blog/2016/01/06/tanakatorahiko/
しかし、今回驚いたのは、本題の田中七段の自戦記部分ではなく、その中で引用されていた河口老師の発言。
この自戦記によると、

最近「中終盤重視主義」という言葉が流行している。河口(俊彦五段)さんや奥山(紅樹)さんが使いだしたものだ。

 河口さんの説く所は「最近のプロは”とにかく勝ちたい”の意識だけが露出している。その結果、序盤はサッと流してスタミナを温存し、終盤の泥仕合だけのつまらない将棋ばかりになった。新手一生の精神なんか忘れられかけている」というもの。私も同感である。

となっており、なんと「対局日誌」をはじめここ十年以上の老師節(最近の若手は序盤の研究一辺倒でどこを見回しても同じ将棋ばかりで云々)とは真逆のことを言っているではないか!
まあその辺のお爺さんだったら、この程度のことをことさら取り上げることもないのだが、将棋界において河口史観が少なからず考え方に影響を及ぼしている(名人は選ばれた人がなる、とか)という説もあるようだし、語り部として一定の地位を築いていることは間違いない「老師」がこれでは、うーん、といった感じ。
もっと正確に言うならば、(少なくとも自分は)20世紀後半の将棋界の歴史を、保守的な将棋観として「最近までの老師節的なもの」が連綿と続いていたところに現れた谷川終盤革命、それに続く55年組という伏線のもと、ついに羽生世代による終盤の精緻化とそれに伴って将棋の序盤重視へのシフトが決定的に進められる、というストーリーで理解していたわけで、「対局日誌」はその保守的な古き良き将棋観サイドから描かれたものとして考えていたのだが、どうもその手前ですでに老師は、「昔は良かった」というか、「勝負を重視したドライな態度」への反感、に任せて上のようなことを言っているような状態だったのであり、もしかするとすでにこの時点において時代を反映しているとすら見なせない置いてきぼりの状態にあるのでないか(それはつまり、「将棋は人生」的な考え方はもっと早く見切りがつけられていたということになるのかもしれないが)、そうすると一連の文章の重みもやや損なわれるのではないか、といったところ。
そうすると再度将棋界の歴史について、もう少し冷静というか実情を踏まえた整理が求められると思うが、その辺が行われることは当分ないような気もする。