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マグリット展

美術館

土曜に友人と行く。大変密度の濃い展覧会で、2時間半ぐらい書けてみっちり見る(珍しく人と一緒に見に行ったので、その場で話をしながら見られたのも理解や考えを整理するのに良かった)。素晴らしい展覧会だった。以下メモ。
・全体を通じて、実在とその認識(しばしば現れる光景とキャンパスに書かれたイメージの関係(「これはパイプではない」)、月のイメージ)、何を見るのか(見ることを選びとっているのか)、スケールの転換・変化(巨大な鼻の描かれた「占い」とそれに付随された眠りからの目覚めの際の混乱の文、「不思議の国のアリス」の題材)や部分と全体(木の葉型の木)といった点に対する一貫した問題意識を強く感じる。一方で、時代とともに見られる初期のシュルレアリスム的な異なる(あるいは対になるような)概念の並置(「深淵の花」の馬に付ける鈴を花に見立てたものなど)、それらの溶融による新たなイメージの創発(女性と木目の融合の「発見」や何度も言及されるヘーゲル弁証法、Aufheben)、さらには連想によるジャンプ(鳥かごと卵の類似性の着想、「説明」での瓶と人参)、更にはそういった認識や連想による一種の現実の侵食(「再開」とか。また、これは誤った解釈かもしれないが、「会話術」とかもそうではなかろうか)といった表現の推移も興味深い。
・頻繁に表れる「空」のイメージについて。壁や部屋の外にあり、窓等を通じて見られるものとしてしばしば描かれ、実際の存在を象徴するとともに、それ故に通念からの解放や天上界としての(我々の暮らす)地表からと対になる概念として在るように見える一方で、それ自体が常に我々の上に有り、覆いかぶさってくるようなある種の抑圧的なものという面も(たとえば今回の展覧会の絵で言えば「光の帝国」や、「呪い」という題の空のみの絵など)感じられる。大変ありがちで申し訳ないが、まさにwatcher of the skiesということか。
・何度も登場する、街灯、あるいは杖かチェスの駒のような形状のものはビルボケという、西洋のけん玉だそうな。図録で知る。
・実在と認識の話で月を例に出すのって、Einsteinの言葉がまず思い出されるのだが、結構西洋では自然な例えだったりするのだろうか。
・薔薇のモチーフがしばしば表れるのが実在論唯名論かという普遍論争のテーマを示唆するということに恥ずかしながらまるで気づかず、教えられてそうだったのか感が。
・石のイメージについて、いまいち分からないでいる。石自体の風化やシーラカンス、石が現れる作品の題名からいっても時間的な概念を示唆していると思うのだが…
・ゴルコンダという(無名の)群衆における空中浮遊という奇蹟と、それに対するマグリッド本人による「楽観的」という評価。
・後期に見られる、何が隠されているのか、何が見えているのか(見ようとしているのか)という問題。「白紙委任状」や、「レディ・メイドの花束」もそうだが、「巡礼者」も空間に隠されていると見るべきか。
「目に見えるものは、隠されて目に見えなくなることがあります。しかし、眼に見えないものはけっして隠されません。それは、おそらく無視されるのです。現れないのです。感情は、眼に見えないものです。オブジェは目に見えます。しかし、我々の目に見えない思考は、そこにありますが、無視することができるけれども、隠すことは出来ません。」(1966年の「LIFE」誌インタビュー、図録より)