八月十五日の神話

ちくま新書20周年記念のブックガイド(これまでに新書を書いてきた人たち?による「私が選ぶ1冊」というもの)で複数の人から推されてて、内容も興味を引くものだったので読んだ。
内容は、終戦記念日である八月十五日について、玉音放送を聞きながら悲嘆にくれる国民、というあまりに浸透しているイメージについて(日常語とは遠い古語で発表された詔の意味を国民皆が直ちに理解し得たのだろうか、という疑問に端を発して)、メディア論を専門とする筆者が当時の新聞記事の出処を探る、というところから始まり、なぜポツダム宣言受諾の八月一四日でもなく、戦勝国で終戦とされるミズーリ号上での降伏文書調印が行われた「九月二日」でもなく、玉音放送のされた「八月十五日」をもって終戦とされたのか、といった謎に対して、新聞と写真、ラジオ、教科書といったメディアにおいてどのように、「八月十五日終戦説」が形成されていったのかを詳細な調査に基づき明らかにしていく、というもの。
ハイライトはやはりラジオに関する二章で、お盆の政治学、すなわち明治維新にはじまる都心(新政府)−地方(旧幕府)の対立の構図を受ける形での新暦−旧暦の差である七月盆と八月盆が、ラジオ放送によって徐々に均質化されていく流れ、更に加えて物語性の強い甲子園野球の中継や、文部省による東京発の盆踊りといった、一体感を醸すためのイベントがラジオで中継され、国民意識を制御する装置として働く様子、そして戦時中の慰霊と盆、ラジオによる全体化、という三つが結びついた空間において、玉音放送というある種の儀式による終戦、という神話(天皇が儀礼的には、暦や時を司る役目だったこととの符合も興味深い)が作られた、という件は圧巻。
最後の筆者による提言はそれまでの丁寧な分析とは裏腹にどうも宙に浮いたような印象を受けるのが残念だが、それを差し引いても読み応えある良い本だったと感じる。

追記:増補が12月にちくま学芸文庫で出るらしい。読むタイミングがいまいちだったか。

八月十五日の神話 終戦記念日のメディア学 ちくま新書 (544)

八月十五日の神話 終戦記念日のメディア学 ちくま新書 (544)