オープンサイエンス革命

量子情報の古典となったNielsen-ChuangのNielsenによる、「オープン」な形式がもたらす科学の発展と、その先にあるこれまでの科学界の在り方や概念の革新についての解説書。
内容は大きく二部に渡り、前半では特にオープンソースに代表されるような、(特にWebを通じた)情報の公開と誰でもカスタマイズ可能という、「オープン」な形式によって大きな効力を発揮する集合知について、ブログ上で数学者たちが意見交換しながら問題を解決するポリマス・プロジェクトや、当代随一のカスパロフが合議制で指し手を決定する「世界」チームを相手取ったチェスの対局などを取り上げて議論する。ここでは主に「オープン」な形式が力を発揮するための条件などに力点が置かれ、徹底されたモジュール化や、適切な注意の誘導を行い個人がミクロな領域での専門性をフルに活かせることで、「デザインされたセレンディピティ」を引き起こせるということが述べられる。
後半では特にデータドリブンインテリジェンスに代表されるような、大量のデータからこれまで人間が読み取れなかったような事象の関連性を見て取る可能性やSDSSのデータのような、オープンな大量のデータに一般の人々がアクセスしそれを分析することで、従来考えられなかった速度で発見が進むなどの例を用いながら、本書の目的と考えられる、「オープン」な形式が科学にもたらす利益と、それが必然的に引き起こす従来の科学業界の価値観の転換に関して議論がなされる。
本としても、非常に平易な説明が成され分かりやすい一方で、安易な例えとかには頼らない点が大変好感が持てるものだった。
ただ、少々「オープン」なものに肩入れしすぎな感じはあった。例えばオープンな形式はその多様性故に強さを持っているのであって、特定の優秀な作戦に微調整を加えるだけだといずれ発展はサチってしまうわけで(103頁のグラフにもはっきり見て取れる)、これは(ネットを利用して将棋の実力を従来に比べ遥かに短期間で上達させられるようになった一方で、圧倒的な実力者は現れるに至っていない現状を指した羽生の言葉を借りれば)まさに「高速道路を抜けた後の大渋滞」な訳だけど、その点についてはノータッチな辺りとか。

さて、オープンな大量のデータを大量のアマチュア(研究を生業とするプロではないという意味)が解析して、集団として結果を引き出す、という形式が浸透していけば(そしてそれはギャラクシー・ズーやフォールドイットの例を見る限り確実に起こっているといえる)、これまでと同様に、大発見をして論文を書く(すなわち上の例で言えば優秀かつ革新的な作戦を提示できる人)、というスタイルで仕事としてやっていける人の数は減少せざるを得ず、むしろ例えばカスパロフ対「世界」におけるクラッシュのような、集合の意見をコーディネートして、上手く良い情報をすくい上げる役割を担うとか、フォールドイットのような「仕組み」を作るとかを出来る人が重宝されるようになる気はするのだが、正直これまで自分が見た科学(ここでは物理の意味)界の感じとは相当かけ離れている気がするので、ちょっと想像ができないところもあるというのが実際の所。
後はオープンな形式はおそらく科学の方向性とか目標みたいの(もっと言えば、そもそもの「分かった」という概念とか)も大きく変えてしまうと思うのだけれど(例えばデータドリブンインテリジェンスの例に見るように、蓄積データ自体はブラックボックスとしても、欲しい答えだけなら手に入りうる、ということも起こるので)、そこが今後どうなるのか、これまでの科学の成果を駆動してきた「分かった」感と必ずしも一致しないとしてもそれを押しきれるだけの強さや魅力があるのか、とかも気になる所ではある(しかしこれも多勢に無勢という感じか。従来の「分かった」感を味わったことのある人数は、今後の「科学に多少なりとも貢献してる感」を味わいうるアマチュアの人数と比べて明らかに少ないので)。
ともあれ、「オープン」という形式のもたらした革新を一望できるとともに、科学のこれからを考えさせられる、(少々ショッキングながら)大変刺激的な本だった。

オープンサイエンス革命

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