2013.04.01-04.07

という訳で一週間たった。以下雑感。「今週のお題」とかはいいです。

・正直時間のたつのが早すぎてショックである。このまま漫然と過ごしていると何も出来ぬまま老人になってしまう。

・基本的に頭が悪いので、人の話を聞いて直ちに得心するというのが超ニガテなのだが、どうもこの手の能力が大学以上に必要と感じる。大学でも講義する側からは講義を聞いて理解していくことが求められており、講義のペースに合わせて教科書を読んで自習する、というのはそれに比べてはるかに大変、ということから話を聞いて理解できる能力が重視されている感があったが、それよりも更にという印象。

・自分で言語化してみると、全体として出すべき結果が組織としてのアウトプットということを肝に銘じなさい、というのがここ数日のメッセージだったと思う。

・したがって組織内で情報のブラックボックスなどを作るのは致命的。情報は共有する。

・自分で「判断」しない。何も考えないただの伝達係ですら、場合によっては「自分で考えて行動する」人間に勝る。ここがおそらく組織と個人の最大の違い(そして組織の息苦しさを感じさせる要因の一つ)だが、重要なのは多分「考える」方向が組織の場合は「常に組織に最大に利する」ように規定されている必要が有る、ということ。つまり、考えることが排除されているわけではなく、何が重要かを意識していなさい、ということだと理解している。

・結果は「全体としての総意」という形で出てくる、という点も非常に大きな違い。したがって、「合意を得る」ことが想像以上に重要。非常に嫌な言い方だが、おそらく「正論」や「適切なこと」よりは、「わかりやすく」、「共感できる」ようなものが威力を発揮する。
そして「わかろうとする」姿勢よりは、「わからせる」能力が圧倒的に重要視され、それが問題になる印象。(ここが自分の感覚(わからなければ考えるなり調べるなり聞くなり自分でするべきで)と絶望的にマッチしておらず、今のところ参っている。すなわち、上で述べたことと合わせると、この構造では「わからせる」側に多大な責任が負わされると主に、疑問の解決についても「組織の莉となる」もののみが求められる)
・あと、多くの場合「わかりやすさ」は欲せられる一方で、「説明を尽くすこと」はあまり喜ばれない印象。これは時間の制約も大きい要因。

・こうした背景のもと、「なんかsympathizeできること言え、出来なかったらお前のせいな」みたいなのがしばしば見られる(どうしてあんなに安い共感を必要とするのか、とかなり前から謎だったが、書いていて漸く気づいた)。

・こうして考えると、物理とかの(原理上は)言葉(数式)を尽くせばある程度(かなり、と言っていいと思う)の所は合意しうる(そしてそれをお互いが望む)、というシステムは心底素晴らしいものだったと思う。