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2012.09.22-09.30

ここ一週間はかなり講師の先生に時間割いてもらって今後の方針等議論した。ただ、自分の理解不足等もあったりして、ある程度形に出来たのが週最終盤だったのが悔やまれる。一つ(自分で出来たこととして)良かったこととしては、つい最近arxivに上がっていた内容がcompeteする論文に関して、個人的に怪しいのでないかと思っていた所について同意が得られたことだろうか。

まだまだ詰めたい所や掘り下げるべきところは沢山あるはずなのだが、まとめる方向性も視野に入れることを先生に指摘されて改めて時間の過ぎる速さと自分の能力不足を痛感した。

という訳で、学会準備などで予想外に手間取ったこともあり、ぼちぼちしか書けていなかった修論は結局本文(レビュー部)10ページ強に留まっている。戴き物の修論テンプレートに倣って英文11ptで書き始めてみたのだが、必死に書いても1頁そこらにしかならず愕然。学部4年の頃に研究室の先輩のD論見た時は、150頁ぐらい書くものなのか、とかなめた感想しか抱けなかったが、実際に書く段になってようやくその量の大変さが分かり始めた。

後は来学期の演習の問題作るなど。だんだん作るのが楽しくなってきた。ただ、講義で学ぶのでなく基本的に本読んで自習していた人間のため、カリキュラム的に何が既知で何が既知でないのか、ということに無頓着であり、実際に問題作る際に公式カリキュラムの既習の枠組みに収めようとすると、そこの折り合いの付け方が結構悩ましい(場のE-L eq.を(学部の授業の)どこで習ったか、ということを考えてみたことすら無かった)。まあどう考えても本質的ではないところとはいえ、授業する側はそういうことを考える必要があるというのを実感。

そんな中で(ここからが本論なのだが)昨日は台風も迫っており、事実上の夏休み最終日ということで、一日遊んできた。9月いっぱいで閉店するという、松丸本舗へ。何時間いても全く飽きないぐらい素晴らしい空間だった。
その辺の本屋とは全く異なるような切り口で本の集合を再構成し、それを様々な見せ方で棚に文字通り「飾る」、しかもそれはただ遠目に眺めるものとしてでなく、本を見せに来た読者が本に引きつけられ、自らそれを手に取り頁を繰る、という行為を演出することが強く意識されているように感じられ、非常に感動した。
具体的には、そう広くない空間に密集させた高い本棚の合間を縫うように歩く感じは小さい頃図書館で受けた、上まで詰まった本棚から受ける「圧迫感」(それでいて妙な心地よさがある)のようで、それだけで気分が良くなるものだったし、本棚に付いた戸棚の中の本を戸のスリットから覗き見て、本を取り出す感覚というのもすごく楽しいものだった。
(ただ、あえて言うならやはり「本殿」とその周辺には何というかある種の温度差があるように感じた。周辺で見られた企画(例えば三冊まとめ買いなど)はどうしても比較的他の所でも見られるようないわゆるこれまでの「本屋さん」的なものに近いものを感じてしまった。)

折角こういう場に来たのだから日頃自分ではそうそう選ばないようで、かつ自然に手にとって読み始められそうな本を買おうと決めたは良いが、思いの外これを満たす本を見つけ、かつ絞り切るのが難しくかなり悩んでしまった(とはいえ楽しい時間だったのだが)。結局逡巡の末「レトリック」(ルブール)を購入。読むのが楽しみ。

その後は機嫌をよくして日暮里から「ひみつ堂」へ。えらく並んでいて驚く。桃のかき氷(はじめて見た)は実に美味しかった。歩き通しで疲れたが、実に良い一日だった。

しかし書いてて思ったが、冷静に遊びすぎだ。しかも最近研究の話は日記に書きづらくて基本読んだ本と遊んで回った話しか書いてないから尚更。