-2011.11.15

前言通り京都に来ています。現在湯川記念館に部屋までもらえているし、宿(北白川学舎)もあまりの安さにビクビクしていましたが、特に問題もなく快適に過ごせています。

ただ本題の物理に関して言えば、来る前から相応の覚悟はしていたとはいえ、自らの愚かしさと無能さのために大変厳しい状態にあります。M1になって半年たってこの状況、という意味ではいろいろ考え直す必要があるのかもしれません。実際、自分が(学科が決まった後に腐りかけた後に)物理を、更に物性理論をやろうと思えた殆ど全ての原点(大昔に「物理をやる理由は東京にはない」と書いたことがあるが、これはかなり本当)である京都でこれ、というのはなかなかに示唆的ではあります。

今日はセミナーの終了後、途方にくれて、というかやや錯乱気味で永観堂あたりまで歩きましたが、哲学の道での、あたりとの自分の「なじまなさ」みたいなものに割とショックを受けました。何かそこにあるには妙なはずのもの、例えばゴミ箱とか「国内専用」とか出てる公衆電話ボックスとかですら、「それでもなおここにずっと存在し続けている」、と言った雰囲気を出して、確かに一つの景色となってしまっていて、明らかに来るところを間違えた的な浮き足立った自分を凝視している感じ。それらが夕日に照らされて、これまた記号的な妙さとは裏腹に凄まじい調和感を出したりしているところなんか見せられると、もうどうしようもない感じになります。

ちょっとここしばらく完全に方向性を見失いつつある感じですが、とりあえずセミナーは大変面白い(超豪華ラインナップなので当然だが。してみると自分のあれは、どの面下げての何だったのか)、というのと、早く「本物の」物理がやりたい、という感じですかね。