羽生の頭脳2

中身がノーマルな三間飛車中飛車対急戦と、藤井システム前夜の居飛車穴熊左美濃という訳で、定跡書としては完全に古典になってしまっているのだが、個人的に目を引くのはむしろ自戦記の文章。
今でこそ羽生2冠のスマートかつドライな将棋に対する考え方が、技術的のみならず思想的にも将棋界に革命をもたらした、ということは周知の事実だし、羽生流の考え方が現在の将棋界の常識になっているわけだけど、その羽生2冠も最初からそういう所を前面に押し出せていたわけではない、というかはっきり言えば革命以前の将棋観に沿った文章が綴られていて驚く。やはり当時は若いということで、色々言うのは大変だったのかもしれない。