2010.11.25

25日

朝は寝坊した上にそのまま家でレポート書きつつ竜王戦の中継を戦型だけ確認しよう、とか思ったせいで当然のごとく遅刻。

2限 固体物理2

もはや残り30分とかで行ってるので出席とは言えないわけだが。磁性の話だった模様。下記のこととか漫然と考えてたら一瞬で終わった。

午後 特別実験

前日の続きでプログラムのミスを直したりするが、一向に論文の結果には合わず。気分転換も兼ねて関連した別の量も計算させてみるが、こちらの挙動はもっとひどくて、もはや定性的なレベルで合致しない。泣きそう。

逡巡した末に昨日のをポチッたため、旅行とかは金銭的に暫く行けなさそう。



何か全くのあさっての方向に喋る感じだけれど、某所のコメントとかについて思ったこととか適当に。どこへも向かっていかないで閉じてる感じなので、完全に自己満足だが。



合言葉的に、というか脊髄でネタを言い合ってその行為自体に満足、みたいのが気持ち悪くて論外、という点には完全に同意。
ただちょっと思ったのは、この手のは、例えば香炉峰の雪いかならむ、とか言って簾を上げさせるのとかとそう違わないのでないか、ということで、その根にあるのは「知ってれば知ってるほど偉い、ないしその対象に対しての愛が深い」という考え方なのだろうか、ということ。この矢印が逆ならば至極当然と思えるのだけれど、この考え方は本末転倒に感じられる。何故なら(極端に言えば)この手の趣味というのは文字通り自己完結的になることも出来ると思うが、知っていればいるだけ偉い、というのは明らかに他者との交流とかを意識した考え方だから。
なので上記の「脊髄」に対しても、批判において(暗にでも)上のスタンスをとっているならば、それはぱっと見ほどは叩かれている側とは違いはないのではないかとか思った。

後更に話が脱線気味になるけれど、ある作品があったとしてそこの一部を取り出してきて(文章の引用なり音楽なり)それ(のみ)を楽しんでいる場合、それが愛に欠ける行為だ、みたいな論調も根底には上の「知ってるだけ〜」があるのではないかと思う。まあこれはむしろ、「何」が好きなのか、という範囲の問題の気もするのでそう割り切ればさほど大事ではない気もするが、まあ個人的には結構大事なところなので一応。

じゃあ「脊髄」とどうやって一線を画するのか、という肝心のところについては、正直あまり考え的なものはない。ぱっと思いついたところだと、とにかくなるべく多くの自身の言葉(無論そんなものが存在し得るかは甚だ怪しいが)を尽くすようみっともなく足掻くしかないのか、という感じ。

何か他にも色々あったような気もするが、どんどんまとまらなくなってきた上、実に稚拙なことに気がついたのでこの辺でやめる。