2010.05.11

11日

朝寝坊。往復15分歩き+3時間授業は思いのほかハードだったということか。

2限 一般相対論
テンソルとかの話が一区切り。しかしこの授業、出るまでは毎回教科書あるんだから切るべきだと思うのだが、いざ出てみると先生の授業の上手さに出て良かったと思わされてしまうという、何とも稀有なものである。

午後はRamseyの負の温度の論文の続き読むなど。しかしあまり集中出来ず。夜はTight-binding Photonic bandの論文読む。



何か全く脈絡ないけれども、物理の話でうれしいことだと勝手に思ってるのは、ある基本的な方程式、あるいは思想(を定式化したもの)が思いのほか世界をよく説明してくれて、物事に統一的な見方を与えてくれる、といったことなのだが、ここで肝心なのは方程式が、という所であって、これこそが物理を他の「世界の見方を与える」思想との中で特徴付けるものではないか、もっと言えばこれ抜きでは物理のかなりクリティカルな部分が失われるのではないか、と個人的には考えているわけです。
つまりそこを欠いてしまったならば、例えば身近な現象Aと別の現象Bには実は同じ物理があるのです、すごいですね、面白いですねとか言ったところで、それは、「〜とかけて、〜と解く。そのこころは?」というやつ(正式な名称は何だっただろうか?)と正直大差ないと思うし、ましてや(ここには大分ギャップがあるが)数式を極力除いて分かりやすく直感的に、とか言い出したらそれはもう一種の詐欺と言っていいと思うのです(個人的には難しいことを分かりやすく教える、ほど胡散臭いものはないと思っている)。
まあ何が言いたいのかよくわからなくなってきましたが、要は我々が何かしら物理についてしゃべるならば、(言語としての)数学の存在について語られるべきだということ、そこをスルーしてしまえばいかに分かりやすく、面白く話して興味をひくようなことが出来たとしても、それはちょっと違うのではないかと思うのです。