竜王戦羽生ー片上戦について

という訳で昨日の羽生ー片上戦。棋譜竜王戦中継サイトで。

http://live.shogi.or.jp/ryuou/

内容も非常に面白く、熱戦だったのでぜひ将棋世界辺りでしっかり記事にしてくれればうれしいがそれはさておき。
投了図一手前で自らの非勢を悟った片上6段が自玉の一手詰めろを受けないで、羽生名人に詰まされたところで投了したことについて、一部で非難があるようだが、まあ率直にいえばとんだお門違いとしか言いようがない。
非難派の言い分を推測すれば、プロの嗜みとして、美しい形を作って投げる必要があり、悔しさを露わにして一手詰みまで指すのはそれにもとる、ということだと思われるが、まず
詰みの局面(ここでいうのは1手詰めの最終局面のみならず、長手数の詰み手順の途中のも含む)で投了するのはプロの対局でもかなり多く、自玉に詰みこそなけれど攻防ともに見込みなしといった局面で投げる方が珍しいということ。そして当然のことながら詰み手順においてならば途中のいかなる局面で投げようとも、そこに差異はあり得ないということが反論としてあげられる。したがって今回の投了図の一手詰みの局面も他の長手数の詰み手順の途中での投了と全く変わるものではないといえる。その意味で、率直にいえば投了図を必要以上に褒めたたえる意見についても、投了図を貶す意見同様に個人的には違和感を禁じえない。

推測を重ねるようで恐縮だが、これが問題となった一因には、今回の対局が新鋭が現時点で事実上最強の名人に挑むという構図が事前に共通認識として見る側にあり、それゆえ「正々堂々と」、「力一杯」戦ってほしいなどの感情が働いていたせいもあるのではないかと考えている。
これが飛ぶ鳥落とす期待の新鋭同士のライバル対決とか盤外での確執が有名な因縁の対決とかだったら一手詰みまで指したのを見てもこのようなたたかれ方はしないと思うのである。
しかし、このような認識や感情といったものは当の対局とは完全に切り離されたものなのだから
そのような「期待」から対局者を非難することはできないはずだ。

ともかく熱戦を見せてくれた両対局者には感謝したい。実際テスト終わってから大体パソコンの前で見てたぐらい面白かったです。また、片上六段にはまた当然来るであろう大舞台での活躍、期待してます。


なんだかまとまりなくごちゃごちゃと書いてしまったが明文化されてるルールとそれ以外のならわしについては、特にここ1年ぐらいで考えざるを得なくなったこともあり、今回の件を見て少し気になったので。まあ最大の原因は知人が某所にコメント残してたことだが。