2019.05.07

朝は社会復帰への負の意欲を梃子にノートを多少書く。

人のお土産でDopplerオーストリア出身であることを認識する。

午後は大学に行って散乱理論と量子干渉の話を聞く。前半は頭が冴えていて、S行列の話を見た瞬間にユニタリ性の話が頭に浮かぶなど先生の話の拵えについてっていたかと思うが、後半は量子干渉の実験やABリングを見て喜んでいたら(外村先生の件の実験がこれまでの人生で唯一、目にして涙が流れるほど感動した実験なので)多重干渉効果をちゃんと考えると磁場での位相制御は難しいとか言われて、自分がちゃんと考えていないことが分かりがっかり。しかしなぜ、今更単位の取得に血道を上げることになっているのか。(それも物理で)

LINEの調子がおかしいケースがあることに気がつく。メッセージが適切に送られて来ずにラグが発生する場合があるが理由は不明。

夜は薬の調達に医者に行く。休み明けなので混雑がひどく1.5h程度待ち。写真を撮られて、GWに実家で読んでいた「残酷な神が支配する」が頭をよぎるなど。

図書館で借りた「異常検知と変化検知」をパラ見している間に寝落ち。

2019.04.26-05.06

10連休。連休らしいことは特にせず(後に先生の所に行って雑談した時に「正しい姿だと思います」とかフォローされた)。所要で実家に帰ったのと合わせて即位の儀式をテレビで眺めていたぐらい。実家では漁夫の利で藤田展のグッズであるトートバッグを手に入れた。

基本的にはノートを書くかだらだらするか、だったのだが、前半では「ジョーズ」を見に行くなど。初めて通しで見た気がするが、予想よりも遥かに出来栄えが良かった。前半は普通に怖い。

ユニクロで売っていた任天堂とのコラボTシャツが気に入ったので購入する。本当はヨッシーの柄が好みだったのだがサイズが合うものがなかったので、マリオとキノピオの柄のものにする。同時にPEANUTSのも。しかし毎回思うのだが、女性向けのほうが明らかにデザインが可愛くて、好みである。男性向けのものは大体気に入らない。

後はNetflixに再加入して、「ストリートフードを求めて」を見ていた。悉く出てくる屋台の名物が美味そうで、この手の番組を楽しく見れることに驚いた。

休みの終盤に九段下に出向いた際に千代田区の図書館に初めて入るが、環境が良かった。こういうところで日々作業したいものだが。

休みの最中に統計検定の問題集を眺めていたが、1級と準1級で方向性が割と違うことを認識した。準1級のほうが実践的。実務の経験が乏しい身としては、算数を頑張ればフォローできそうな1級のほうが望みがありそうな気がする。とはいえ、計算のスピード・精度のおぞましいほどの衰えを再認識せざるを得なかった。

後は(1X年ぶりぐらいに)「火の鳥」を読んでひたすら圧倒されていた。黎明編から始めて鳳凰編まで。空前絶後

その他、「医師の不足と過剰」を読む。結論は、空間ゆらぎを考えなさい、というごくごく自然に思い当たるものではあると思うが、いろいろデータの説明もあって、厚くはなく内容も深いものではないが、ためになる本であるという印象。ただ、医者の人口学というのはもっと連綿と既往研究があるのではないかと想像していたが、引用される文献が専門書や論文ではなく、一般向けのもの、かつ最近の文献ばかりなのが若干気にかかるところではあった。

 

医師の不足と過剰: 医療格差を医師の数から考える

医師の不足と過剰: 医療格差を医師の数から考える

 

 

連休中に目にして、刺激的だった記事。 

japan.cnet.com

 

 この著者、情報科学の界隈での有名人であることは間違いない(というか自分もその文脈で本を読んだりして知っている)が、どこまで物理のことを深く理解・認識して記事を書いているのか謎なところが悩ましい(というか巧みというか嫌らしいというべきか)。

まあこれを読むと、言明としては確かに非線形非平衡とかでアクセスできていない広大な領域がある(それはこれまで主にやられてきた領域よりは遥かに広い)、とかはステートメントとしては正しいのだろうが、解ける問題しか解いてこなかった、とかカジュアルにおっしゃられると、平衡統計とか熱力学とか量子力学とか、その他のここで旧来のものみたいな扱いになっている諸々の物理の圧倒的な(不愉快でさえある)強力さ、普遍性を理解された上で、これまでは解ける問題しか解いてこなかった、とか深層学習が拓く、人間の貧弱な認知限界の枠内にとどまらない、新たな科学の姿としての「高次元科学」とかおっしゃっているのですよね、という気持ちにはなる。

この手の(クラークとかレムとかの有名な作品が想起されるような)SF的問題意識はお話レベルとしては嫌いではないのだが、何だか情報だの脳だのの皆さん、やたら物理に言及したり、新しいパラダイムが大好きというか、そんなに「超物理」みたいなことが言いたければ、学部・修士ぐらいのことはもちろん勉強された上でバウンダリを認識して言っているのですよね(この著者の学問的背景を知らないので、勿論超気合を入れて学んだ上で言及している可能性も大いにあるのだが)、という気分。(某○○幾何の始祖も微妙なことを言っていたりしたので、個人的にはやや不信感を持っている)

しかし、(自分のような非専門家ではなく)真の識者はこういった内容についてどのような感想を持つのか、というのは興味はあるところではある。

 

2019.04.07

入手したタダ券の期限が切れそうなので、慌てて上野の「奇想の系譜」展へ行く。

最終日で相応に混んでいたが、信じがたいほど良い展覧会だった!

例によっての慢心でちゃんと予習したりせずに臨んだが、二世紀ほど先を歩んだような蕭白の「群仙図屏風」の衝撃があまりにも強く、棒立ち。これだけで来た甲斐があったというもの。その他にも、頬が緩まずに入られぬ若冲の河豚と蛙の相撲や芦雪の猿山とか、蕭白の美人図、とかすごく気に入ったものがいくつもあって、それらだけでも満腹感もあったのだが、やはり「群仙図屏風」がすべてを持っていった感が個人的には強い。後は岩佐又兵衛の新出の「妖怪退治図屏風」の説明文が、書き手の熱がじわりと伝わるような文でこれも良かった。

東京都美術館の特別展だと、他の美術館よりもこじんまりして、というか、出口に差し掛かるともう終わりか、という若干の味気なさを感じることもたまにあるのだが、今回はそれとは真逆というか、大変密度の濃い内容で満足度が高い。普通に複数回行くべきだった。

 

 

2019.04.06

桜が終わりつつある、ということで家族で花見へ行く。

人生2度目の小石川植物園であったが、温かいし風もなく、それでいて良い具合に花が散って吹雪めいており、何だか信じ難いほど絶好の花見日和であった。途中でデザートの調達に寄った和菓子屋もえらい繁盛ぶりだったが(人気店というのを差し引いても)頷ける。

夜は叡王戦など見る。この大逆転はなかなか厳しいところだが、どちらも負けてほしくない取組、というのも最近では珍しいので、何とかシリーズとしては長くなる方へ行ってほしい所。

注文した「フィルカル」の最新号が届いたので眺め始めたり。特集冒頭の「ブックガイド」をおもむろに読むが、流石に予備知識や問題意識・哲学界隈での文脈が分かっていないせいか、ピンと来ない。というか、文章だけを読むと適当なものにすら見える。

 

フィルカル Vol. 4, No. 1 ―分析哲学と文化をつなぐ―

フィルカル Vol. 4, No. 1 ―分析哲学と文化をつなぐ―

  • 作者: 一ノ瀬正樹,稲岡大志,石井雅巳,酒井泰斗,朱喜哲,長門裕介,横地徳広,山田圭一,野上志学,大畑浩志,銭清弘,三木那由他,佐藤邦政,ドナルド・ジャッド,河合大介,谷川嘉浩,萩原広道,しゅんぎくオカピ,源河亨,飯塚純
  • 出版社/メーカー: 株式会社ミュー
  • 発売日: 2019/03/31
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まず記事における分野の整理(教養系、エンタメ系、ビジネス、海外の翻訳)が、分野動向全体を俯瞰して覆えてるのかもよく分からない(たとえば、科学や生命などの問題に対して、哲学の立場から検討を行うといった試みはどのように位置づけられるのか)。

また、なぜこうした流れが今斯様に盛んになっているのか、ということの説明についてもピンとこない。キーとなる論点として、「非専門家による哲学への語り」というものには歴史があること(哲学についての語りについて、日本では非専門家による語りが受け入れられる土壌がもともとあった、と理解できるだろうか)、それと不確実な時代における人々の悩みに対する「有用性」のアピール、というものがあるが、これらが正しいとすれば、ラストのアカデミア研究者とポピュラー哲学者のコラボでより良いものができる、というのはあまりに適当というか、取ってつけたようなものと言わざるを得ない。(専門性による「品質保証」が受け手からは別に求められていない、というのがポピュラー哲学普及の背景のはずなので) 

後は、学位をはじめとして、アカデミアへの非常に強い信頼感が印象深い。一部の科学分野では、政府の基礎研究への投資の不十分さで人が流出したりとか、特にネット上における情報共有や環境の整備・発展があった結果、必ずしも狭義の意味での学位取得を経験していない「在野」の人が意義深い情報や新しい結果を提出することもあれば、それが専門家も注目するような内容であったりとかも増えているように見られ、要は「中身で価値が決まる」というある意味非常に明快な側面が上記のような背景で強まっている(一方で勿論「期待値」は情報発信者の専門性、具体的には学位取得などに、相関があると思うが)訳だが、それとは異なって、まず免許皆伝が必要条件である、ということなのだろうか。訓練の形態とかもよく知らないので、その辺りの評価とその理由なども興味がある。

また、文章から受けた上記の印象が正しいとするなら、文章中で何度か引き合いに出てきている数学ガールの例はポピュラー哲学書の「エンタメ系」に対置するにはあまり適切ではないと思われる。(あれが評価されているのは、表現・形式的な取っ付きやすさや耳目の集めやすさだけではなく、というよりはむしろ、驚くべき咀嚼・説明能力の高さと正確さをできるだけ損なわずに高みへ登らせる、志の高さの両立と思われる)

出だしから躓き気味なのだが、もう少し読んでみることにする。

2019.04.05

年度代わりということで多少はまったりしたいのだが、そうは問屋が、という感じで気が滅入るところである。

巷で話題の”Factfulness”を読み終える。悪いことを言っているわけではないのだが、まあそうですね、という感じでさらっと読めてしまい、感動がまるでない。

2019.04.04

懸念が一つ収束に向かう。 

桜が見頃だが見に行けず、またほしい雑誌が書店においてなかったりしてややストレスが溜まる。東京堂ですら・・・というのはなんとも。

棋聖戦を見たが、後手羽生の工夫が分からずじまい。振り飛車が労せずさばいて形にならない、という感じ。